【幸せの新甘泉】
2018.09.30不思議な題名に 「???」 という方も多いと思います。おそらく鳥取県民以外の方には、この 「新甘泉」 を読むのは容易ではないかと思います。何故ならばこれは当て字なんです。実際私も十数年前には読めませんでしたが、この漢字 「しんかんせん」 と読みます。
これは鳥取県が生み出した、比較的新しい鳥取県品種の赤梨です。ご存知の通り鳥取の梨といえば、鳥取県名産物である 「二十世紀梨」 が全国的に有名ですよね。今でも鳥取県全域では二十世紀梨を栽培している生産者の方が多く、中でも東郷の二十世紀梨なんかは抜群の知名度があります。
ちなみにこの二十世紀梨は青梨というカテゴリーに分けられ、溢れんばかりの果汁と絶妙な酸味とのバランスが素晴らしく、この地域ではまさに秋の味覚の王様とも呼ばれるほどの美味しい梨です。
そして冒頭の 「新甘泉」、これは赤梨と呼ばれるカテゴリーの品種となり、甘みと香りがより前面に出てきており、食べた触感はみずみずしいんですが、二十世紀梨と違い酸味がほぼなく、兎に角甘い梨に仕上がっています。よって糖度が非常に高く、糖度センサーで13度以上等、色々な高い基準を超えた新甘泉だけが市場に出ることが出来るという、文字通り厳選された比較的新しい赤梨品種です。
しかしながら、この新甘泉、本当に美味いとあって人気も凄まじいのです。人気があるということは、鳥取県の生産者さんにとって素晴らしいことなんですが、我々庶民にはなかなか手に入りにくいというのが現実です。そう、より高値がつく関西圏を中心とした都市部に売られていってしまうわけです・・・。冬の松葉ガニみたいなものですね。
ここ1,2年、やっと地元のスーパーでも見かけるようになりましたが、それでもまだまだ絶対数は少ないようです。私の友人や、弊社社員でも食べたことがないという方が本当に多いようです。それほど、味もレア級に美味しく、手に入れることもレア級な梨なんです。
ですので、仕事柄、たまに生産者の方々から梨を頂くこともあるんですが、この新甘泉だけはそうそう貰うことがありません。
そんなこの夏のある日、長い間ずっとずっとお世話になっている方から電話が入りました。私自身、人間的にも仕事人としても心から尊敬している方。電話があるだけでいろんな意味で「ドキッ」としてしまうくらい、私にとっては偉大な方からで、その電話を取ると。
「今年からうちで新甘泉がなったから、家族で梨狩りに来いよ!」
実は去年からちらっと誘われてましたが、正直半信半疑でした。疑念ではなく恐縮するからです。私が知っている限りで新甘泉の梨狩りなんでしている生産者は聞いたことがありません。今を時めく高級梨ですし、当然の如く売った方が実入りは高いわけです。なんせ、市場はまだまだ新甘泉を求めていて足りないのが現状ですから。しかも個人同士ということは、いやらしい言い方ですが無料・・・。逆に恐縮してしまいます。
そんな思いを抱きながら、でもせっかくのお誘いですし、嬉しさと緊張とが入り混じりながらの訪問約束。その週末に家族で伺うと、素晴らしく美しく整備された果樹園。本当に細かいところまで手入れがいきわたっていて、これは美味しい梨が出来るだろうと確信してしまうほどの果樹園でした。
そして念願の梨狩りスタート。今の子供は、青梨より甘い赤梨の方が好きな子がほとんどで、当然うちの子も同様なので大はしゃぎです。そりゃ大人の私でも新甘泉狩りなんて贅沢過ぎて、めっちゃテンション上がりますからね(笑)
梨のもぎ方からレクチャー受けて、ひたすらもいでは食べ、もいでは食べの繰り返し。挙句の果てには十数個の新甘泉をお土産で頂き、本当に楽しく忘れられない一日となりました。子供も私も大満足。午前中に伺ったんですが、その日はランチを食べなかったくらいひたすら新甘泉を食べましたから(笑)
しかし朝どれの新甘泉、、、なんていう贅沢品でしょう・・・。冷えてなくても最高に美味い!!こんなに美味いものなのかと、気が付けば子供より私の方が食べてましたから。本当にこの上ない幸せなひと時でしたね。果樹園を満面の笑みで走り回って梨狩りをする子供を見ていると、これ以上の幸せがあるのかと感じてしまいました。
ある意味究極に贅沢な一日を過ごすことが出来ましたね。
世の中には、お金では買えない、お金より価値のあることが沢山あります。もちろんお金も大事ですが、本当の幸せとは、こういった時の方が格段に高い満足感を得られますよね。ビジネスをしていると尚更大切に思うのが、こういった無償の幸せという価値観です。
お金で得られる幸せにはきっと限界があるからでしょう。所詮お金なんて道具なわけであり、最高の幸せを掴む方法は結局、人から与えて貰うか、人に与えるかしかないわけです。やはり人なんです。
本当に素晴らしく美味しい梨でした。しかしただ美味しいだけではなく、私の人生で一番美味しい梨の味であったことは間違いありませんね。尊敬する恩人からの贅沢な時間。子供が喜ぶといいなと思っていた梨狩りが、私にとってこの夏一番幸せな一日となりました。
糖度センサーでは測れない最高の甘味と贅沢をいただいたことに、心より感謝です。
【平成のDiva引退】
2018.09.182018年9月16日をもって、歌手安室奈美恵さんが引退した。
1年前、世間を驚かせた突然の引退発表から、この日までの引退行脚。ファンに対しても、ビジネスマーケティングとしても、ここまで綺麗で見事な幕引きは、彼女の価値を更に高めたほど素晴らしいエンディングとなったようです。
しかし一口に25年とは本当に長い年月ですよね。
実は私とは年齢も3歳しか変わらず、ほぼほぼ同世代。なのでというか、彼女がブレイクした時は本当に強烈な印象に残っています。
確かにメディアが言う通り、安室さんは平成の象徴だとか、時代を映し出す存在でした。そしてアムラーという言葉。
アムラーという言葉を聞くとあの時代を思い出すくらいのインパクトをいまだに残してますし、ああいうマスコミが創り出した造語というのは、えてして現実社会にはそこまで浸透しておらず、言葉のみが独り歩きしているものですが、彼女のブームは違っていました。
その当時学生だった私は東京に住んでおり、都内で人の多いところに出かけると、どこに行っても安室ミュージックが聞こえてくる時代。っというか、小室ミュージックばかりだったという方が正しいかも・・・。
20歳過ぎの頃、比較的渋谷の近くに住んでいたのでしょっちゅう渋谷に出かけてましたが、あの時代は本当に渋谷の街にアムラーが溢れていました!。センター街や109周辺の女の子は、茶髪ストレート・ミニスカ・厚底ブーツ・細眉。ちょっと違うけど、ガングロやらヤマンバギャルとかって言葉もありましたねぇ。そう考えると、男はキムタク風ロン毛ばかりでしたけど。
しかし今思い出しても異常な光景でした。本当に街にアムラーが溢れかえっていましたから。
その一昔前に、聖子ちゃんカットとかって髪型ブームもありましたが、アムラー以降あそこまで世間に影響を与えるブームってないのかもしれません。それほど凄いブームでした。
元々当時の私はあまり安室さんに興味が無く、まあ有名なので知っている程度でしたが、たまたま親しいというか、かわいがってもらってた先輩が、安室さんとかなり近い業界人で。そこからたまたま東京ドームツアーのチケットあげるよって言われて、安室ライブ初参戦。当日ドームに行くと、5万人収容ライブのなんと目の前のほぼほぼ最前列。そして目が合うほど触れるほどの超至近距離での2時間ライブ。よゆーで、ファンになりCD買って帰りました(笑)。
でも冗談ではなく、今でも鮮明に覚えているくらい素晴らしいライブでした。東京や海外で暮らしている頃は、ライブ好きでそれこそかなりの数のバンドやアーティストのライブを見に行きましたが、その中でも彼女のライブは今でも凄く印象に残ってます。高いお金払う価値があるライブとはこのことだってくらい。(実際、招待だったので無料でしたが・・・)
あれから20数年と考えると月日が過ぎるのは本当に早く、同時にずっと一線級に居続けた彼女の凄さは我々には理解できない程でしょう。
こういう絶頂期での引退に関して賛否両論あるようですが、間違いないのは山口百恵さん以来の伝説的引退になったということは紛れもない事実です。
音楽とはその時代時代の象徴であり、個人の思い出を共有できる部分もある素晴らしい文化です。自分より年下でかつ、自分の青春時代の象徴的音楽シーンであった彼女の引退は、いろいろと感慨深いものがありますね。
本当にお疲れ様でした。
【台風21号 & 北海道胆振東部地震】
2018.09.109月4日(火)台風21号が関西地方を中心に猛威を振るい、大きな爪痕を残し日本を去り、その後2日後の6日(木)3時7分、北海道胆振東部に大きな地震が襲いました。
共に多くの方々の命を奪い、甚大な被害を与え、今でも復興活動が続いております。
つい2か月ほど前に、岡山・広島への豪雨被害があったばかりです。日本という国で暮らしていると、本当に自然災害が多い国だと日々感じます。特に、地震はある程度準備が出来ていても、基本的には突発的に起こる災害。起きた瞬間に、誰しも正しい判断が出来る保証は無く、そもそもそれが正しいかどうかは分かりません。
かといって準備をしないわけにはいきませんし、もちろん準備は無駄にはならないでしょう。
国土技術研究センターの文献を調べてみると、日本の国土の面積は全世界のたった0.28%しかありませんが、全世界で起こったマグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で起こり、全世界の活火山の7.0%が日本にあるようです。
私自身も含めて、改めてこの日本で暮らすという意味を考えなければと強く感じます。同時にこの度の復興の為に、我々も微力ながらのお力添えを個人としても企業としても進めていきます。
この度の全ての被災者の方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。