【10年前の今日 ~マッチング寄付~】
2021.03.12東日本大震災直後の週末。TVやネットニュースにかじりつきながら、自分に、自分の会社に一体何が出来るだろうというのを考え続けた時間だったことは、10年経過した今でも鮮明に覚えています。
自分自身居ても経ってもいられず、すぐにでも被災地に駆けつけボランティア活動を行うことも視野に入れ、ネットリサーチしましたが、遠い鳥取から東北に辿り着くことすら不可能に近い状況だと言うことがすぐ判明。東北出身の方々が故郷に戻ることすら困難であることから、それも当然だと理解し断念。
そこで思い出したのが、以前アメリカで勤務していた企業でおこなわれていた、「マッチング寄付システム」。10年前の時点では、日本ではまだまだ取り入れている企業が少なかったシステムだ。その「マッチング寄付システム」とは、会社従業員サイドから寄せられた義援金に対して、会社サイドがその同額を上乗せ(マッチング)寄付する制度です。要するに、従業員Aさんが1,000円寄付してくださると、それに対して会社も同額1,000円寄付し、合計2,000円になります。即ち、従業員1,000人が各1,000円寄付してくださり、その合計が100万円になると、会社サイドからも同額100万円をマッチングさせ、合計200万円の寄付が出来るというシステムです。
通常、企業や社会団体等が災害時に寄付金・義援金を募りますが、従業員の方々にお願いするだけではなく、「貴方の1,000円は会社も同額マッチングすることによって2,000円となりますよ」というお願いをし、相乗効果を生みましょう!というコンセプト。勿論ご自分たちの生活を辛くしてまで行う必要はありません。普段飲むコーヒー一杯、タバコ一箱、飲み屋一軒という嗜好品を減らして、ほんの少しでもいいのでお願いしますということが最も大事です。
実はこのシステム、欧米では古くからスタンダードな寄付システムで定着しており、日本でも徐々に増えてきている文化です。
そして今や、国内外での災害時に、我々川口グループ全ての企業一丸となり行っているシステムがこの「マッチング寄付システム」となります。今では災害が起こると、会社メンバーから「マッチング寄付しましょう!!」っという声が自発的にあがるようになってきました。10年経過し、確実の我々の企業カルチャーには浸透したと実感します。そういう意味では川口グループ72年の歴史の中でも大きなターニングポイントでした。
10年経過しても、まだまだ復興途中の東北地方。自宅に戻れない方も多々いらっしゃるようです。そして国内外では毎年のように未曾有の災害が起こっています。何が正解かということは我々には分からないというのが本音ですが、何もしないより何かアクションを起こすことが正解であるだろいうということだけはぶれず、この「マッチング寄付システム」だけではなく、また新しいアクションが起こせるよう日々考えて準備を進めていきたいと思います。
あれから10年。一人でも、そして少しでも被災者の心の傷が癒えることを祈りつつ、我々も成長し今一度何が出来るのかを考え、そして新しいアクションをおこしていきたいですね。
【10年前の今日】
2021.03.11本日2021年3月11日、あの震災から10年が経ちました。まだ10年、もう10年、被災者の方々含めたそれぞれの感じ方は違うはずです。
私もあの日、あの時間のことは鮮明に覚えています。午後14時46分過ぎ鳥取市内にいた私は、クライアントさんの駐車場の車の中で、アポ時間まで車内でPC業務。すると突然の緊急速報。慌てて車内TVつけると、千葉方面で火の手が上がっている映像。しかし震源地は宮城県沖と表示されているが、映像は東京のまま。アンカーたちのパニック状態はプリウスの小さな車内TVでも伝わってくる。
見たこともないマグニチュード、そして震度の大きさに恐怖を覚え、関東や東北の友人に震える手で電話するも誰も繋がらない。電話が不通なことから、これはとんでもなく恐ろしいことが起きた、そしてこの後更に恐ろしいことが起きることを、直感的に震えと共に感じた記憶がある。
直後、クライアントさんとのアポ時間になり地震が起きたことを伝えたり、その後オフィスに戻って同僚と話しても、意外と皆ぴんと来てないようだった。その時感じたのは、この山陰地方と東北地方との距離感。確かに繋がりや所縁があまりない地域同士かもしれないと感じたのを覚えている。当時私は帰国してまだ1年も経っていないことから、この部分に驚いたこともまた事実だった。
金曜日の午後だったこともあり、週末にかけて電話し続けていると、何人かに繋がりはじめ、TVやネットの情報と共に被害が徐々に判明し始める。やはりTVやネットと違い、被災した友人から直接聞いた話は現実感や恐怖感が凄まじかった。結局私はその夜一睡もできず、津波の有った夜の東北の映像を見続けた。真っ暗な海に点在する炎の映像が未だに脳裏に焼き付いている。
鳥取と東北、遠く離れているが同じ日本で日本人が恐怖と共に凄す時を過ごしている。何とも言えない重い週末を過ごし、人生でも経験無いくらい、自分たちが一体何が出来るのかを考える週末だった。
【コロナの言い訳】
2021.02.27世界中がコロナ禍となり、もう既に1年が経過した。
全ての方が感じているかと思いますが、この新型コロナウイルスとは人体に及ぼす危険性はもとより、人々への途轍もない精神的ダメージを与える恐怖もある。それらを鑑みると、人類が見えない敵と戦うということはこういうことなのかと感じる日々だ。
昨年春先は、メディアや世論が徹底的にパチンコ屋を叩いたことも、今となってはそんなこともあったなという程度。しかし当時は連日朝からパチンコ屋に並んでいる客たちにメディアがインタビュー。ああいう倫理観のない人間はダメだの、周りに迷惑かけるだの、そこまでして金が欲しいのかだの、まあもう人間失格の烙印を突きつけるような、大多数の国民が批判を集中させた。
しかし当時並んでいる一人の客がコメントしていた下記内容を記憶している。
「俺たちはパチンコ屋に1人で来て、1人で黙って台に向かってパチンコ打っている。パチンコ屋さんも台と台の間は距離を保ってくれているし、そもそも台と台の間にアクリル板敷居もある。誰も会話もしていない。それがどうしてダメなのか?」
新型コロナウイルス自体がだいぶ解明されてきた今ではこの方の仰る通りだ。まあ勿論それは解明してきた今だからかもしれないが、怖いのはその矛先は実はパチンコ屋ではなく、誰でも良かったのではなかったかとも感じることだ。
あれから一年近く経過して世間の批判を振り返ってみると、そのパチンコ批判から、アベノマスク批判、Go To批判、政権批判、首相批判ときりがない。
そもそもGo Toがそんなに関係するかというのは私自身懐疑的に感じていた。まあ細かいことは省くが、数字だけ見るとGo To終わった直後から第3波は爆発しているではないか。しかし昨年11月は、もうこぞってGo To批判。当然旅行している人は文句は言わず、旅行を我慢していた人たちこそ、「なんで自分たちは我慢してるのに!!」みたいな風だった。
しかし実際Go To終わってみて、第3波になってみると話のつじつまが合わないことにみんな気付く。Go Toってあんまり関係なかったのかも。なのに、それに批判を言い続けた人たちは知らん顔して、また新しい批判を探す。
この負のスパイラルは現代病なのか、人々の潜在的なものなのか、それともコロナ禍だからか。当然の如く、コロナ禍だからしょうがない一過性のものだということを祈ってしまう今日この頃である。