【ウクライナ侵攻】
2022.02.28ロシアのウクライナ侵攻。
オリンピック中から、ロシア軍のきな臭い動きが見えていたとは言え、この段階でウクライナ侵攻開始したというニュースに、大きな衝撃を覚えたというのが世界の本音であろう。
TV画面で見る現実は、この現代に同じ地球上で起きているとは考えにくいと思ってしまうし、今更ながら信じたくない程のインパクトだ。
国連のアントニオ・グテレス事務総長は22日の記者会見で、「世界が近年で最大の危機に直面している」と語った。ヨーロッパではここ数十年で最も危険で不安定な状況だと報道されている。プーチンの健康状態や判断能力に疑問符があり、その背景には中国やベラルーシが控えていることは誰の目にも明らかだ。
以前、バルト三国含めた東ヨーロッパをバックパックして歩いたことがあるが、東ヨーロッパの風景は言葉にならない程壮大で、まさに映画の世界が眼下に広がり、歴史豊かな本当に美しいエリアでした。
ヨーロッパの国々は陸続きなので、バスで移動していると越境という感覚がありません。知らない間にというか、気付いたら別の国から別の国にという感覚で、国境検問という概念すらほぼ無い国が大多数。特にEU加盟国なんて、日本国内の県から県をまたぐ感覚と全く同じな程です。
しかし当時、私が移動した東ヨーロッパで唯一越境出来ない国がありました。そう今話題のベラルーシです。
私はリトアニアからベラルーシにバスで越境しようとしたところ、あまりにもリスクが高すぎることで断念。リスクというのは、必ず出国(戻ってくる)できる保証はないと言われたからです。ベラルーシは入国後ビザ発給というシステムでしたので、入国してみないとビザ発給されるかどうか確約は無いということでした。
出国出来なくなっては当然困るので、ベラルーシ入国は泣く泣く断念。当時でもある程度危ない国でしたからこそ、興味本位で入ってみてみたいという気持ちは強かったのですが。
しかしたったこれだけのエピソードでも、ベラルーシがいかに特殊で未だにそういう国であることは良く分かると思います。特殊というか不気味な国。今回ロシアの陰に隠れながら、独裁者が影響力を強めている姿を見ても、21世紀に存在する国と思えない。
一部の独裁者によって、あの映画のように美しいヨーロッパが破壊されていると思うと、自分たちの無力さにやるせない気持ちにしかならないですね。
【ブレない挑戦する姿勢とは】
2022.02.20先週末にて北京冬季オリンピックが終了致しました。
東京夏季オリンピックに続くコロナ禍でのオリンピックでしたので、通常のそれと比べて盛り上がりに欠ける部分は否めませんでしたが、それでも世界各国のアスリートの超人技や競技後のコメントに心奪われる日々でした。
いつ見てても思いますが、彼らアスリートの挑戦する姿勢には心奪われるだけではなく、自分自身の大きな刺激になりますし、色々考えさせられます。
金メダルを獲得したスキージャンプ小林陵侑選手、5種目完走し金メダルまで獲った高木美帆選手、最終で見事大逆転金メダルの平野歩夢選手。思い出すだけで、まだ興奮冷めあがらぬ程の感動があるはずです。日本人で良かったと再認識させてくれたことに感謝という思いもたくさんの方が感じたと思います。
そんな北京オリンピックで私が最も心奪われたのは、前回平昌オリンピック同様、羽生結弦選手の4回転半ジャンプの挑戦です。御承知の通り、結果はジャンプ着地に失敗し、認定されたもののほろ苦いものになってしまった挑戦でした。それでも何が凄いって、オリンピックという究極の舞台、究極の目標、更には3連覇がかかったオリンピックで挑戦した彼の精神力は想像すら出来ません。
そして彼はSPで出遅れたからこのジャンプに挑戦したのではなく、彼は初めからこの挑戦を明言したうえで、実行したことが凄まじく感じるほどです。
実は4年前の平昌オリンピックでも、羽生結弦選手に関して下記ブログに記載致しましたのでリンク貼り付けます。
http://www.kawaguchi-group.jp/blog_president/3167/
彼の4年前金メダル後のインタビューのセリフが下記です。
「全部が全部欲しい、何もかも手に入れたいけど、捨てなきゃ取れないものもある」
「普段のこととか考えかたとか、今この幸せはいらない」
「そういうもの(小さな幸せ)をすべて捨て去ってきた」
4年経っても全く軸がぶれないなっていうか、今でも常に新しいものに挑戦する姿勢。そのためには古いものを捨て去ることすら厭わない。彼のような人間になることは難しいのは百も承知ですが、一歩一歩近づきたいと思わせてくれる、そんな希有の存在が羽生結弦選手。生きる姿、挑戦する姿、かっこいいとしか言いようがない!!
【オリンピックオープニングセレモニーを見比べて】
2022.02.052月4日、北京冬季オリンピックが開幕しました。
選手と競技に注目することは勿論ですが、やはりオリンピックといえば夏冬問わずオープニングセレモニーに注目が集まりますよね。そして、半年前に行われた我らが東京オリンピックのオープニングセレモニーと比較をしてしまうのは、私だけではなく日本人であれば同様の感情を抱いてしまったであろう。
超個人的私の見解としては、日本人として残念だったと思わざるえない程、北京オリンピックオープニングセレモニーの方が素晴らしい内容でしたね。勿論比較をすること自体ナンセンスなのは百も承知ですが、裏を返せば、比較をしてしまうほど北京オリンピックのそれが素晴らしかったということかもしれません。
賛否両論あれど、やはり中国の団結度は凄まじいですね。今回総監督であったチャン・イーモウのリーダーシップなのかは分かりませんが、彼の一貫性のある表現は観客を大いに惹きつけられる魅力に溢れていました。それはお金のかけ方ではないというか、意外と質素な内容にもかかわらず、見ているものを強く惹きつけられました。勿論、最終ランナーに関することやその他政治的な部分を排除してのことです。
聞くところによると、東京オリンピックは組織委員会を含めてプロジェクト運営が極めてバラバラで、数人の大御所に合わない若い優秀な方々が続々と離脱した為、最終的に一貫性のないオープニングセレモニーになったと言われています。これらはどこまで信憑性があるか分かりませんが、少なくとも一貫性のないバラバラなセレモニーであったことは客観的に見ても否めないですね。
中国が明らかに莫大なお金を投資したのであれば、もう少し納得出来たのかもしれませんが、今回はそうでもなさそうでしたので、やはり日本人として残念な気持ちが多いかったですね。ではこの違いはリーダーシップなのか組織力なのかプロジェクトマネージメント力なのか。
実際、各国のメディアの反響を見ていると、総じて「ここ近年のオリンピックオープニングセレモニーで最高に魅力的であった」という評判が大半を占めていた。
トーチ自体が聖火となるという、イノベーティブな点火式を観ながら、日本人として色々考えさせられる、そんな北京冬季オリンピックのオープニングセレモニーでした。